最近、講演会の冒頭で、目をつぶってもらい、「夢を持っている人、手を挙げて!」って質問から始まります。夢が原動力となり、その願望から、多くの発明が成されたからです。
なのになのに、親世代の方は1~2割しか手を挙げません。
何故なんだろう?
そんな疑問を解決する前に、イマの教育について考えてみました。

先日、スタッフから興味深い話を聞きました。

ある小学校の課外授業で、牛の繁殖農家に行った。
その牛の飼育を観察に行く前に、生産者にスケッチを渡すために、牛の書き方を指導したそうだ。しかも、懇切丁寧に色使いまで伝えたらしい。
えー、観察する事が目的なのに、なんで事前にそんな事をする必要があるの?
すると、先生から、生産者の方に失礼のないように、予め練習させておくためと返答が返ってきた。

世の中が主体性を求める時代になって来ているのに、先生がこれでは先行き不安です。
そもそも、今までの教育は、テストによる点数至上主義で、偏差値で学力を図り、知識を記憶できる子どもが良い大学に入り、成功を収めてきました。結果、進学塾に通わせ、多額の教育費を捻出するため、お母さんはパートに出かけ、子どもたちは孤立と多忙の中で生活しています。
でも、それは高度成長期に、ロボットのように言われた事を正確にこなす人間が求められたからであり、価値観が多様化した現代では知識だけでは成り立たなくなって来ています。
そのために、学習指導要領改訂で、これからの教育は、主体性を育むことが重要と記載されています。自分のやりたいことをしっかりと夢を思い描き、その願望をカタチにするために、前向きに意欲をもって努力する能力が主体性であるとするならば、これからの教育で求められるのは、受動的に知識を覚えることではなく、なりたい理想となる姿を描き、それに向かって学問を習得する事が重要だと言うことです。

知識偏重で受け身で育った子どもたちは、自分の人生を自分自身で切り開くことが苦手です。主体的な子どもは、従来型の教育では育たないし、その能力は従来型のペーパーテストでは測れません。これからは、答えのない問題が増えてくるから、従来型のペーパーテストの入試における比重は減ってきます。

話を戻すと、親世代は、学生時代にこの点数至上主義で育っているので、我が子も同様に育てています。
結果、なりたい自分探しが出来ず、何のために勉強しなければならないのかを感じないままに多感な青春時代を過ごす羽目になります。

なので、主体性を育てるためには、幼少期から、多くの体験をし、得て不得手、好き嫌い、向き不向きを、自分自身で見極め、やりたい事を明確にし、親はそれを応援するために名脇役に徹してもらいたいです。